私の家が片付かないのも全部社会が悪い

断捨離がんばろうブログです。社会批判は特にありません。

「まだ使えるからもったいない」について考える

こんにちは。まつのき食いです。

今回も、「もったいない」と思うことについて考えていきます。

「譲る」ということについて

「譲る」ことには、おさがりや、メルカリ・中古ショップへの販売などが考えられます。最近は社会的に環境保護への意識も高まっており、使わないからといって捨てることに抵抗がある人は増えていると思います。メルカリの人気が高まっているのも、「お金になる」ということもありますが、そういう側面が一つにはあると私は思っています。

よく片付けの本でも「人に譲る」という方法が紹介されています。私はそれに対し疑問を感じます。人から安易に物をもらわないことが家が片付くようになるために大切なことだからです。他人の家を散らかして、自分の家を片付けるということが適切かどうかは考える必要があります。

もちろん、他人から求められている物は別です。それはwin-winというものです。

私は、「人から求められていない物」の問題について考えました。

「まだ使える物」と「まだ求められる物」の違い

新品のTシャツも、1回着れば、最初のさわやかな感じは失われます。それでも着用していくことは可能ですが、何年も着古せば、次第に色はあせ、破れたりするところも出てきます。しかし、それでもなんとか着用することは可能だったりするのです。私の家族はパジャマの脇が破けてしまいましたが、人前に出ることもないし、とそのまま着続けています。

しかし、そのようなボロボロの服を欲しがる人がいるかといえば、いません。衣服の大量廃棄が問題となっている現代社会では、ホームレスであってもそのような服は欲しがらないでしょう。私の住んでいる地域の古着回収ボックスにはまだ着られる服が大量に入っています。もちろん、破れた服は人前に着ていくことは難しいです。部屋着として、やパジャマとして、という留保付きで、「まだ使える」ということになります。

服だけではありません。我が家のクローゼットには夫が昔使っていた古ぼけた敷布団がいつまでも入っています。こればかりは私の所有物ではないため、説得は続けていますが、まだ廃棄することはできていません。客人用としてとってあります。しかし、客人にこの布団を勧めるようなことは、私の目が黒いうちはさせません。この布団を他人に使わせようとすることは礼節を欠いているし、そのように申し出るべきではありません。欲しがる人もいないでしょう。そのような代物です。

しかし、例えば、もし家族がコロナになり、自宅隔離が必要だということになったら、私はこの布団で寝ることにも耐えるでしょう。その程度の用は足せます。(しかし……どちらかといえばソファーで寝るかもしれません)それでも日常的に使用することはありません。

このように、「自分が所有している物が古びていく」ことには、使用の範囲を制限することで耐えられます。一方で、「古びた物は他人からは求められず、他人に渡すこともできない」というのも確かです。そのため、この間には物にとって微妙な時期が存在することがわかります。「できたらあまり使いたくないが、まだ使える。でも、欲しがる人はいない」という時期です。

使わないなら捨てるべき

このような物は、結局いますぐに使わないなら、捨てるべきだと私は考えます。マイナスの影響のほうが大きいからです。例えば前述の敷布団は、スペースを圧迫しているだけでなく、ダニやほこりの温床にもなります。夫は災害や戦争の避難民に提供するなどといっていましたが、このような物を提供されたら屈辱もいいところです。「いつか使える」かもしれないとして、「使えた」としても、いいことはないのです。

私がずっと持っていた抱っこ紐は、とっくに用を終えていましたが、まだまだ使うことは可能でした。しかし汚れもついており、プラスチックの連結具などは経年劣化も考えられ、提供したとしても使用する側のことを考えると最善ではありません。ベビーカーもまだ時々使っているのですが、本当に使わなくなったら人に譲ろうと考えていました。しかし、最近はハーネス部分に劣化を感じています。部品交換ができるのであればともかく、安全性に関わる部分に劣化が生じはじめているものは、まだ問題なく利用できるとしても、人には渡すべきではないような気がしています。

例えば貧困にある人に使ってもらおうと考えるのであれば、新品を買って寄付するのが本当の親切ではないかと思います。

「もったいない」にどう対応するか

とはいえ、まだまだ使えるものを廃棄することは環境保護などを考えると可能な限り避けたいものです。私も常にそう思っています。

私が考えることは、これ以降、つまり片付けが終わった後は、「手入れして長く使える物」を購入し、「大切に使っていく」こと、そして「循環させること」が重要だということです。

前述の例で言えば、衣服は縫製や素材のちゃんとした物を買えば、長く着ることができ、「まだ着れるが、あまり着たくない」という時期に入るのを遅らせることができます。

布団は「大切に使う」ことが重要です。手入れをしっかりと行い、そして不要になった時点でまだ喜んで使えるような状態であれば、すぐに人に譲れば求める人もいるでしょう。クローゼットの肥やしにしていれば、すぐにほこりまみれになります。いらなくなったらすぐ人に渡せば、劣化の小さいまま循環させていくことも可能かもしれません。

抱っこ紐やベビーカーに関しては、「長く使える物」を購入することが重要ですが、これに関しては、販売側がそのような商品を設計することがより求められると思います。

実は、抱っこ紐は私は二種類持っていました。前述のものとは違うほうは、まるっと洗濯できる素材・構造であり、紐を結んだりすることでプラスチックの連結具がなくても使える仕組みになっていました。こちらはまだ「求められる物」だと判断し、実際に人に譲ることができました。

ベビーカーも、もしハーネスを修理・交換できる仕組み、例えば点検サービスや、またはパーツを販売し、使用者が容易に交換できる構造にしたりすれば、現在よりも長く使えるようになるでしょう。「それでは儲けにならない」という声に対しては「社会が悪い」を使わせていただきたく思います。

まとめ

  • 「まだ使えるもの」と「まだ求められるもの」は違う
  • 片付けが終わったら、これからは
    • 「手入れして長く使える物」を買う
    • 大切に使う
    • 循環させる(不要になったら求められるうちに譲る)
  • 企業は「手入れして長く使える物」を作ってほしい