私の家が片付かないのも全部社会が悪い

断捨離がんばろうブログです。社会批判は特にありません。

作っていないキットがどんどん貯まっていく、時間のない手芸好きあるある?

こんにちは。まつのき食いです。

今回は趣味の手芸好きあるある……かもしれないことについて書いていきます。熟練者や、常に編み針と一緒に行動しています、というような愛好家には無縁の悩みかもしれません。しかし、初心者や「時間があったらなるべく作りたいんだけどなあ」という感じの付き合い方の人には、共感してもらえるところが多いのではないかと思っています。

買うだけ買って作らないのは私だけじゃない

以前実家に帰ったときも、「こんなのがあるんだけど、作らない?」と母に持ちかけられ、小物を作りました。母もついついキットを買ってしまってそのままにしがちなタイプです。

私も片付けしていたら昔買って作らなかったキットが出てきました。発掘して作ったものもありますが、とても全部作っている時間はない、というレベルで残されており、また今見るとそれほど「作りたい」という情熱を感じないものも多くありました。そういうものをメルカリで出品してみると、けっこうよく売れます。そして、メルカリにはほかにもたくさん「作る時間がないので」とキットが出品されています。

どうも、手芸キットを買ったはいいが作らずじまいになってしまうのは、私だけではないようです。

キットを買うこと自体はいいと思う

手芸キット自体にはけっこうなメリットがあるとおもいます。

まず、「作らなくても未開封でそのまま保管しておける」ということです。これは作らないで貯め込んでしまうデメリットにもつながりますが、最悪、そのまま必要としている人に譲ることができます。余裕ができたら封を開けて作り始めればよいのです。私もそうしていくつかのものを作りました。

次に、「失敗作ができにくい」ということです。手芸の初心者は技術も低く、センスもいまいちなことが多いでしょう。「こういうものが作りたいな」と思ったら、まずはパターンやレシピを探します。次に、どんな生地や材料を使おうかな……と選び、購入。自分なりに組み合わせて材料を調達し、切ったり縫ったり編んだりします。しかし、可愛いんじゃないかと思って組み合わせた材料は出来上がってみると全然可愛くなかったりします。そういうものには「がんばった」以上の愛着は生まれにくく、大事にはしますが使わなくなります。そのような失敗作(片付けの障害にもなりやすい)を生み出しにくいのはキットのいいところです。安全にほしいものを作りながら、経験を積むことができます。

最後に、「無駄が生まれにくい」ということです。キットにはたいてい、作品がなんとか作れるくらいの材料+予備くらいしか入っていません。「最低カット50cmから」などの店の条件に従って不要に生地を買って余らせたりするおそれが減ります。

このように、何かを作ろうと思ったとき、キットを買うこと自体は、私は選択としていいと思います。

必要以上を買ってしまう理由

作らずに貯まってしまうのは、必要以上に買ってしまうからなのは間違いありません。ではその理由はなんでしょうか。私は大まかに二つあると思います。

一つは「時間がない」、もう一つは「買って満足」です。

時間がない

時間がなくても、キットは買っておけば、前述のように、時間が空いたときに材料集めから始めず、いきなり作業にとりかかれます。「今は時間がないけど、買っておこう。そして時間ができたら作ろう」と考え、さらには「これを作ることを目標、モチベーションにして時間を作ろう」と考えることがあります。

買って満足

キット商品には期間限定のものも多い印象です。生地屋さんが在庫少ない資材などを有効に売り切るために企画している商品もあると思います。そういうものほど可愛かったりするものです。そんな期間限定の可愛いキットはコレクション性もあって、「作るかわからないけど、とりあえず買っておこう」という気持ちにさせられることもあります。買うことが目的になってしまっているパターンです。

ありすぎて困ってる!でも本当は作りたい!

「時間ができたら作るというあなたにその時間は来ません。捨てましょう」的な物言いはよく目にします。ですが、それもいささか乱暴な言い方ではないかと私は思います。

確かにありすぎて収納に困っているような方なら、「全部作る」ことは難しいと思います。ですが、上でも述べたように、キットは材料やレシピなど集める必要がなく、時が来たらすぐに作り始めることができるすぐれものです。もし、手芸をやる時間がいま全然なくて、でもいつかはもう一度やりたいと思っている方なら、「一つだけ残す」のがいいんじゃないかな、と私は思っています。ほかのキットは売るなり捨てるなりして処分しましょう。

「一つだけ」ならかさばらないと思います。また、「たくさん貯まっちゃったな……」と思うと、「どれから始めよう」と考えてしまって、時間があってもなかなか作り始めにくいです。一つなら考える時間がないので、すぐ取り掛かれます。個人的には、「どれから始めよう」という時間は、なかなか厄介です。片付けそれ自体も同じ悩む時間によって妨害されることがあると思います。

「一つだけ」になったら、これからは、一つ一つ、ちゃんと完成させてから次のものを買う生活にシフトしていけばいいのだと思います。

まとめ

・一つ残して全部捨てちゃう

・これからは一つずつ買って完成させよう

「まだ使えるからもったいない」について考える

こんにちは。まつのき食いです。

今回も、「もったいない」と思うことについて考えていきます。

「譲る」ということについて

「譲る」ことには、おさがりや、メルカリ・中古ショップへの販売などが考えられます。最近は社会的に環境保護への意識も高まっており、使わないからといって捨てることに抵抗がある人は増えていると思います。メルカリの人気が高まっているのも、「お金になる」ということもありますが、そういう側面が一つにはあると私は思っています。

よく片付けの本でも「人に譲る」という方法が紹介されています。私はそれに対し疑問を感じます。人から安易に物をもらわないことが家が片付くようになるために大切なことだからです。他人の家を散らかして、自分の家を片付けるということが適切かどうかは考える必要があります。

もちろん、他人から求められている物は別です。それはwin-winというものです。

私は、「人から求められていない物」の問題について考えました。

「まだ使える物」と「まだ求められる物」の違い

新品のTシャツも、1回着れば、最初のさわやかな感じは失われます。それでも着用していくことは可能ですが、何年も着古せば、次第に色はあせ、破れたりするところも出てきます。しかし、それでもなんとか着用することは可能だったりするのです。私の家族はパジャマの脇が破けてしまいましたが、人前に出ることもないし、とそのまま着続けています。

しかし、そのようなボロボロの服を欲しがる人がいるかといえば、いません。衣服の大量廃棄が問題となっている現代社会では、ホームレスであってもそのような服は欲しがらないでしょう。私の住んでいる地域の古着回収ボックスにはまだ着られる服が大量に入っています。もちろん、破れた服は人前に着ていくことは難しいです。部屋着として、やパジャマとして、という留保付きで、「まだ使える」ということになります。

服だけではありません。我が家のクローゼットには夫が昔使っていた古ぼけた敷布団がいつまでも入っています。こればかりは私の所有物ではないため、説得は続けていますが、まだ廃棄することはできていません。客人用としてとってあります。しかし、客人にこの布団を勧めるようなことは、私の目が黒いうちはさせません。この布団を他人に使わせようとすることは礼節を欠いているし、そのように申し出るべきではありません。欲しがる人もいないでしょう。そのような代物です。

しかし、例えば、もし家族がコロナになり、自宅隔離が必要だということになったら、私はこの布団で寝ることにも耐えるでしょう。その程度の用は足せます。(しかし……どちらかといえばソファーで寝るかもしれません)それでも日常的に使用することはありません。

このように、「自分が所有している物が古びていく」ことには、使用の範囲を制限することで耐えられます。一方で、「古びた物は他人からは求められず、他人に渡すこともできない」というのも確かです。そのため、この間には物にとって微妙な時期が存在することがわかります。「できたらあまり使いたくないが、まだ使える。でも、欲しがる人はいない」という時期です。

使わないなら捨てるべき

このような物は、結局いますぐに使わないなら、捨てるべきだと私は考えます。マイナスの影響のほうが大きいからです。例えば前述の敷布団は、スペースを圧迫しているだけでなく、ダニやほこりの温床にもなります。夫は災害や戦争の避難民に提供するなどといっていましたが、このような物を提供されたら屈辱もいいところです。「いつか使える」かもしれないとして、「使えた」としても、いいことはないのです。

私がずっと持っていた抱っこ紐は、とっくに用を終えていましたが、まだまだ使うことは可能でした。しかし汚れもついており、プラスチックの連結具などは経年劣化も考えられ、提供したとしても使用する側のことを考えると最善ではありません。ベビーカーもまだ時々使っているのですが、本当に使わなくなったら人に譲ろうと考えていました。しかし、最近はハーネス部分に劣化を感じています。部品交換ができるのであればともかく、安全性に関わる部分に劣化が生じはじめているものは、まだ問題なく利用できるとしても、人には渡すべきではないような気がしています。

例えば貧困にある人に使ってもらおうと考えるのであれば、新品を買って寄付するのが本当の親切ではないかと思います。

「もったいない」にどう対応するか

とはいえ、まだまだ使えるものを廃棄することは環境保護などを考えると可能な限り避けたいものです。私も常にそう思っています。

私が考えることは、これ以降、つまり片付けが終わった後は、「手入れして長く使える物」を購入し、「大切に使っていく」こと、そして「循環させること」が重要だということです。

前述の例で言えば、衣服は縫製や素材のちゃんとした物を買えば、長く着ることができ、「まだ着れるが、あまり着たくない」という時期に入るのを遅らせることができます。

布団は「大切に使う」ことが重要です。手入れをしっかりと行い、そして不要になった時点でまだ喜んで使えるような状態であれば、すぐに人に譲れば求める人もいるでしょう。クローゼットの肥やしにしていれば、すぐにほこりまみれになります。いらなくなったらすぐ人に渡せば、劣化の小さいまま循環させていくことも可能かもしれません。

抱っこ紐やベビーカーに関しては、「長く使える物」を購入することが重要ですが、これに関しては、販売側がそのような商品を設計することがより求められると思います。

実は、抱っこ紐は私は二種類持っていました。前述のものとは違うほうは、まるっと洗濯できる素材・構造であり、紐を結んだりすることでプラスチックの連結具がなくても使える仕組みになっていました。こちらはまだ「求められる物」だと判断し、実際に人に譲ることができました。

ベビーカーも、もしハーネスを修理・交換できる仕組み、例えば点検サービスや、またはパーツを販売し、使用者が容易に交換できる構造にしたりすれば、現在よりも長く使えるようになるでしょう。「それでは儲けにならない」という声に対しては「社会が悪い」を使わせていただきたく思います。

まとめ

  • 「まだ使えるもの」と「まだ求められるもの」は違う
  • 片付けが終わったら、これからは
    • 「手入れして長く使える物」を買う
    • 大切に使う
    • 循環させる(不要になったら求められるうちに譲る)
  • 企業は「手入れして長く使える物」を作ってほしい

「まだ使えるのに捨てるのはエコじゃない」と思ったら

こんにちは。まつのき食いです。

今日は私の片付けがなかなか進まなかったときの考え方と、それを乗り切った方法を紹介します。

使える物を捨てるのはもったいない、エコじゃない

これは、私が不用品を捨てようという行動を最初に始めたころに親に言われた言葉です。

この頃ははずみがついていたというべきか、とにかくやるぞ! やるぞ! というような、勢いのある状態でした。必要なものまで捨ててしまうというのは、こういう状態のときにありがちだと思います。

それを止めてくれたという意味では有益な声かけだったかもしれませんが、私はこれですっかり出鼻をくじかれてしまいました。

もったいないのは捨てることではない

まだ使えるのに捨ててしまうことは、確かにもったいないことです。

しかし、「まだ使えるけど、これ捨てちゃおうかな?」という思いつき。その後には、「いらないし」「使ってないし」という言葉がつくはずです。

「捨てちゃおうかな?」という考えに至っている時点で、そのものは「もったいない」状況に置かれていると思います。

「いらないのに買った」のか、「飽きたからいらなくなった」のか、「役割を終えた」のかわかりません。しかし、今はっきり言えることは、「捨てるのがもったいない」のではなく、「使われていないことがもったいない」のです。

ゴミ袋に入れられないなら、努力して譲る

環境のことなどを考えて、またはただなんとなくもったいなくて捨てられないのなら、メルカリなり、寄付なり、ブックオフなりを利用して、他人に譲ればいいでしょう。少なくとも、誰も使っていないのなら、その家にはいりません。「あとで使うかも」はだいたい使いません。「使っていなくてごめん」と謝って、活躍の場へと送り出しましょう。

私はメルカリを多用しています。ここで購入されたものは、大体の場合、求められているからです。

メルカリを使う際のポイントとしてお伝えしたいのは、ここを使うのには努力が必要だということです。お金を稼ごうなどと思うべきではありません(片付けのために使うのであれば)。

寄付も、寄付される側の意向をよく理解して渡すべきです。

ブックオフは一番楽ですが、やはり非常に低価格をつけられることが多く、がっかりする人が多いようです。しかし、物にとってはうちにいるよりマシです。それに、家にあっても一円にもなりません。

私は親が送ってきた新品のスカートをタグ付きのままブックオフに売りました。元値は4万円ほどでしたが、400円でした。これはかなり高く売れたほうです。

エネルギーの無駄だからゴミ箱に入れろ!早く!という人もいるでしょうが、罪悪感を抱くくらいであれば、努力してもいいのではないでしょうか。何より、努力して物が次に繋がれば、一石三鳥です。「家は片付く」し、「物は使われる」し、「心も晴れ」ます。

罪悪感を利用する:もう買わない

えいやっで捨ててしまう方法もあります。その際は、「ごめん」という罪悪感が生まれるかもしれません。物に対してなのか、地球に対してなのか、両方かもしれません。

その罪悪感は、利用しましょう。大袈裟に言えば、罪を背負って生きるのです。息苦しいかもしれませんが、結局メリットになります。どういうことかというと、「もう同じ状況を作らない」という心持ちにつなげるのです。

買い物の前に、「本当にこれは必要か」「いつか、あの時捨てたあれのように、ほこりまみれになってゴミ袋に押し込めることになるのではないか」「だったらもう少し買うのは待ってもいいのではないか」そういうふうに考えます。

すると物が増えないどころか、お金も減りません。

「同じ過ちを繰り返さない」ようにすれば、地球にとってもやさしいのではないでしょうか。

そもそも捨てるのがエコじゃないわけじゃない

エコの話をすれば、結局作っている時点でもったいないのです。作りすぎたものを買うことは、環境破壊に加担していることになります。「必要以上は買わない」これが一番エコです。

環境に悪いからといって物を持ち続けていたって、いつかはゴミになります。今捨てるか、私たちが死んだ後捨てられるか、それは同じことです。

使っていないものを捨てないことは、先送りしているだけです。

よく「断捨離のリバウンド」というのを聞いたことがありますが、これは、それを理解していないために起きているのだと思います。部屋のスペースが空いたから新たにこれを入れよう、と考えるのは片付く考え方ではありません。

必要のないものを家にいれないこと、これが一番片付くだけでなく、地球にとってもいいことです。

実際

私はこれらの考え方を併用しています。

思い入れの大きく、価値もある、けれど箱の中に押し込められていたようなものはメルカリで売ったり、自分で作った服などはゴミ袋に入れています。衣類など、リサイクル回収の機会があれば、積極的に持ち込んでいます。

少し前、ニトリでカーテンの回収をしていました。普段は捨てにくく後回しにされていたカーテンですが、交通機関を乗り継いで袋いっぱいのカーテンを持参しました。ポイントはつけてもらいませんでした。「得をしよう」と思わないことが大切です。

ゴミを再利用してエコにしよう、とかは部屋が完全に片付いたあとにやりましょう。家にゴミを入れ続けている時点で、まだエコな生活などを考える資格はないのだと考えて、私はやっています。

片付けは加速度的に進む

こんばんは。まつのき食いです。

今日も私が片付けをしていて感じたことを紹介します。

それは「片付けは加速度的に進むので、道のりは長そうに見えても、見た目ほど大変ではない」ということです。

まず一歩進む

私は以前、いろいろなものの「空箱」をとっておくほうでした。

商品の箱はそれ自体がきれいだったりするし、「割れ物や大物は引越しの時にジャストサイズの箱があると便利」と思っていたし、「売る時にも役立ちそう」と思っていました。このように空箱をとっておく人は多いのではないかと思います。

しかし、片付けを始めてから、特にいらないと思うようになりました。ジャストサイズの箱があっても意外と引越しの時に便利と感じたりはしません。再梱包するのはけっこうめんどうです。新聞紙でくるむほうが楽です。

そういうわけで、「空箱」を捨てるようになりました。紙でできているので虫やほこりの原因にもなりますし、ある物の箱をとっておくということは、その物2つ分のスペースが家に必要になるということです。

一歩進んだ結果

「空箱をとっておかなくてもいいや、捨ててもいいや」というマインドセットができたことで、私は一歩進むことができました。

その結果、目に見える空箱は大体バコッと畳んで古紙回収に出せるようになりました。

物を捨てるとき大変なことのある程度の部分は、「これは捨ててもいいか」「どうやって捨てるのか」を考えることです。「これは捨ててもいい、捨てるときはこうしてこうする」という考えが一度できてしまうと、その種類の物を捨てるのはとても楽になります。最初の1個目の箱を捨てるのとは比べ物にならないくらい楽です。これ以降、出てきた空箱は全部ただの資源ごみに見えるようになります。

さらに進めるようになる

そうして物置にあった空箱を取り出し、畳んでいると、その箱の奥にあったものが目に入りました。それは以前使用しており、汚れてきたので使うのをやめたと思っていたチープなビニール製のキッチンマットでした。

まぎれもなくごみでした。汚れたから捨てたと思っていたものです。二度と使うことはないでしょうし、ほしがる人もいないと思います。迷いなく捨てました。

このように、「ごみを捨てると、後ろからごみが出てくる」のです。見えていなかったものが見えるようになります。最初の一つ目はいわば壁でしたが、その壁を1枚取り去ってみれば、片付けは楽になります。

手をつければ着実に進む

片付けをおっくうにする要因の一つは、「途方もないと感じられること」だと思います。

しかし、一つ捨てれば、同じようなものは次々に捨てることができ、壁が取り去られることで、ほかにも捨てていいものが存在していることに気づきます。

今回は「空箱」というややボリュームのあるものの例をあげましたが、もっと別のものにも当てはまります。たとえばプリントの山があり、それがいらないと思っていながらも、途方もなく見え、名前が書いてあるので捨てづらいと思っていたとします。しかし、「名前のところを切って、重ねて切り刻めばいい。その他の部分は束ねて資源ごみに出せばいい」と気づき、やり始めれば、迷うことはありません。時間はかかるかもしれませんが、粛々と進められるので、苦にはならないのではないでしょうか。

その間に、個人情報すら書いていないどうでもいい紙も発見されるかもしれません。それは弾みで捨てられるでしょう。

何か一つ課題を解決すれば、物事は一気に進みます。このことを、片付けを通して実感することができました。

やろうと思っているけれどおっくうでできない人の背中を、少しでも押せれば幸いです。

片付ければ、掃除機がかけられる

こんにちは。まつのき食いです。

今日は、カテゴリーを充実させる意味も込めて、片付けの「効用」とでも言うべきことについて書いていきたいと思います。

Googleで「断捨離」と検索しようとすると、「断捨離 効果」とか「運気が上がる」とか出てきます。人々が断捨離に何かそれ以上の効果を求めているのがわかります。

Googleの検索画面

余談ですが、このサジェスト欄は最近極端な言葉が並んでいるのが目について、あまり好きではありません。ここにも怪しいサジェストがあります。断捨離しても死ぬことはないと思います。生への執着を断つ人もいるのかもしれませんが、ふつうは生きるために断捨離をするのだと思います。

今日は「掃除機がかけられるようになる」という視点から、効果について書きたいと思います。

スペースが空けば掃除機はかけられる

物が減り、片付けが進むと、部屋の中にスペースができます。そうすると、掃除機をかけてもいいかな、と思ったときに、かけることができます。

掃除機をかける床がない、というのは私がかつてよく使っていた言い訳です。「まず片付けてから」ということです。

ストレスが減ると掃除機はかけられる

もう一つはストレスの側面です。物がごちゃごちゃしている風景は、視覚刺激になり、ストレスになります。「あそこにあれがある」「ここにはこれがある」といちいち認識していたら、脳のチャンネルを無駄に使うことになります。そういう部屋ではいろいろなことにやる気が出なくなり、掃除機もかけられません。

片付けるとそういったストレスが減るので頭が疲れません。その結果、掃除機に限らず、「やろうかな」と思ったけどすぐに「めんどうだからいっか」と諦めることが減ります。

時間があれば掃除機はかけられる

片付いていると、物をなくすことが減ります。その結果、何かを探したり、取り出したり、しまったりするのにかかる時間が減ります。

こういう話を聞いたとき、以前の私は、「そんなにしょっちゅう探し物してないよ」と思ったものです。しかし、片付けが進んでからは、明らかに時間的な余裕は増えています。

この理由について私は、「1日の時間は思っているよりも少ない」というのが大きな要因なのではないかと考えました。たしかに、「あれはどこだ、ここにもない、明日までに見つからないと大変なことになっちゃうよー」というような「探し物」をすることは、あまりありません。

しかし、ペン立てから赤ペンを取り出すときに指がさまよい、他の文房具をかき分けている時間があります。引き出しの中から箸を揃いで出そうとします。チラシの下にテレビのリモコンが隠れてしまい、めくって探します。こういった「ちりつも」は私たちの生活時間を大きく奪っています。

このような小さな探し物が一つ減るたびに、時間的余裕が生まれていきます。掃除機をかける時間がないと言ういいわけもなくなっていくわけです。

掃除機をかけられれば……

掃除機に注目しすぎて、話の流れが曲がった気もします。しかし、汚部屋というのは往々にして掃除されていないものだと思います。私ももちろんそうでした。床には見えないほこりが積もっているのか、裸足で歩くとざらざらした感じがありましたし、抜けた髪の毛もそのまま落ちていて、当然足の裏についたり、床に落ちた衣類にまとわりついたりしていました。

このような不衛生な状態は改善するに越したことはありません。しかし、物が多すぎて掃除できない、ということはありがちだと思います。今回は詳しく触れていませんが、その状態に「慣れてしまう」という悪循環も発生します。

一度掃除機をかけ、きれいになった床を素足で踏めば、これが望ましい状態だと気づくこともできます。そうすれば、なるべくこの状態をキープしたいという気持ちが芽生えます。それまで掃除の習慣がなかった人がいきなり毎日掃除できるようにはなりませんが、少しずつ「やりたい」という積極的な気持ちが行動を後押ししてくれるでしょう。

片付いていない状態は、「できない」という言い訳になってしまいます。片付けをすると、ただ物が片付くわけではなく、そこから掃除ができるようになり、掃除の習慣が生まれ、きれいな部屋に近づいていく、そんな好循環を生み出す、ということを今回はいろいろな角度から書いてみました。

 

ちょっとむりやりなまとめ方になってしまいましたが、今日の内容も、すべて私が実感したことです。断捨離や片付けには確かに効果がある、ということが伝わったら嬉しいです。

時間的余裕についてはそのうちもう少し詳しくまとめたいです。

それが大切なものなら、大切にするべきだ

こんにちは。まつのき食いです。

このブログを開設するにあたって、書きたいことがたくさんありました。最初の記事よりも、今回の2記事目に書くのは何にしようか、というほうが緊張しています。これは意外な気づきです。

今回は、片付けていて個人的に気づき、肝に銘じたことを紹介したいと思います。

大切だと思っていた服のこと

私は洋裁が趣味です。といっても趣味の域を出る物ではなく、ハンドメイド販売などというレベルには達していません。自分や家族が身に着けるための服やカバンを、たまに作っています。

そのうち、洋裁にまつわる片付けの悩みについても書きたいと思っています。

さて、私が片付けをしていると、昔、娘のために作ったワンピースがカゴの中から出てきました。私とお揃いの生地、お揃いのデザインで作った、親子ペアルックのワンピースです。とっくにサイズアウトしています。しかし、たくさん着ました。思い出の詰まった服です。

その服がカゴの中に入っていたのは、リメイクしようと思っていたからです。サイズアウトした子供服は着られなくなります。しかし、部分的に生地をとって、次のサイズで作る服のポケットにしたりすれば、思い出を将来に持っていけると思ったのです。実際にそのようにした服も今までにありました。

しかし、このたびこのワンピースを取り上げたカゴの中には、ほかにもたくさんの紙類や布類が入っていました。そして、その紙の1枚の上を、小さなダニが2匹這っているのを見つけたのです。

とても小さなダニです。2匹見つかったということは、何匹も何匹もこのカゴの中にいるのでしょう。

私はそれを見て、このカゴに一緒に入れられていた服に申し訳ない気持ちになりました。虫が沸くような環境に押し込められていたものを、「大切なものだからとっておいた」と言うことはできません。オカルトですが、服に気持ちがあったとしたら、「大切にされていた」とは思わないでしょう。取り上げたときに、「わあ、これ懐かしい、思い出がたくさんある服だ」などと言われたら、「どの面下げてそんな言葉が言えるんだ」と思うことでしょう。

それなりの扱いをする

その服は捨てました。思い出は写真にたくさん残っています。

私はその服を切って使いたかったのなら、さっさとそうするべきでした。または、もっと大切に、リメイクに使う服として防虫剤と共にきれいな箱にでも入れておくべきでした。(前者が望ましいと思います。後者なら箱がいっぱいになったときに何かに気づくべきです)

「大切なものだからとっておこう」と思うときは、「大切なもの」に見合った扱いをするべきだ、と私はそのとき気づき、肝に銘じたのでした。

思い出の詰まったものを捨てる

このように思い出の詰まったものを見つけたとき、手に取ると思い出が蘇ってきて、捨てられない人は多いと思います。ですが、その品物は大切にされていたでしょうか。

私は、大切に保管され、折に触れて取り出されているものを捨てるべきだとは思いません。ですが、発掘されなければ思い出されないような思い出の品は、捨てたほうがいいと思います。ほこりまみれになり、虫が湧くまで放置してしまうことは、その品のことも、思い出のことも傷つけてしまいます。「こんなところに置いていてごめん、でも、ありがとう」と感謝して(こんまりさんから学びました)、きれいに畳んで、袋に包んで捨てました。

私は最近片付けが進んでから、結婚式のアルバムを時々手に取るようになりました。これはカゴの中の服と違ってリカバリーの効くものです。思い出の品は、手に届く範囲に収まる分だけにしたほうが、物にとっても、私たちにとってもいいでしょう。

今日のまとめ

本当に大切なものなら、ちゃんと大切にする。

それができないなら、感謝して捨てる。

それでは、明日はなんのことを書こうか考えながら寝ることにします。おやすみなさい。

ブログを開設しました

はじめまして。まつのき食いと申します。

このハンドルネームはハンドルネームメーカーというサイトで自動生成してもらいました。

これから、断捨離や家の片付けに関する記事を書いていきたいと思っています。

ブログのタイトルはあえてちょっぴり過激にしてみました。記事ではあまり攻撃的なことを書かないようにします。

よろしくお願いします。

 

はじめに、このブログを開設したきっかけをお話ししたいと思います。

さかのぼると長くなりますが、私は子供の頃から片付けができないまま、大人になってしまいました。買い物の習慣がよくなかったと思います。それは家族全体がそうでした。細々としたものをたくさん買い、溜め込んでいました。

このままではよくない、私は一生汚部屋で生きていくのか、それは嫌だ……と思ったのは、それほど最近ではありません。片付けができるようになりたい、すっきりした部屋で暮らしたいと思ったのは、どんなに遅くとも10年は前のはずです。断捨離という概念の力強さにもその頃から気づいていました。たくさん本を読み、持たない暮らしやシンプルライフへの憧れを募らせていきました。

しかし、ごく最近に至るまで、私はその願いを叶えることはおろか、叶えようとすることすら、できていませんでした。

変わることができたきっかけは何だったのか、それはもう覚えていません。ですが、何かに背中を押されるようにして、最近、夢を抱いて買った机を手放しました。これは、小説家になるという少女時代の夢をもう一度叶えたいと思って買った、素敵な机でした。

その頃の私は仕事に疲れ果てていました。そして、こんな神経をすり減らす仕事を辞めて夢だった小説家を目指そう、それが叶わなくとも得意な英語を生かして翻訳の仕事を目指そう、と願い、休日にその努力をするモチベーションにと思って、背伸びして机と椅子を買ったのです。

しかし、その机で小説が書かれることはありませんでした。私は日々の仕事にいっぱいいっぱいで、いつしか机の上にも物が積まれていき、パソコンを置くスペースもなくなりました。

その後辛かった仕事はやめ、一応机を使うような下請けの仕事をするようになりましたが、小説は書きませんでした。それどころか、小説を読むことすらなくなっていました。

そんな潰えた夢を叶えるために買った机を、メルカリで売りました。前述の通り、きっかけはわかりません。しかし、確か、「お金がそろそろやばい」という気持ちはあったような気はします。そのとき、お金になりそうな、素敵な机と椅子が目に止まったのだと思います。

サーっと売れて、サーっと集荷され、サーっと私の家から、なくなりました。数万円が手に入りました。

 

それから、いろいろなものを手放すようになりました。

机だって手放せるんだから、他のいらないものはどんどん手放していこう。そういうふうに思えるような効果が、机が売れた出来事にはあったのだと思います。

不思議なことではないと今ならわかりますが、次第に、本を読む習慣も戻ってきました。部屋が広くなっていくにつれ、できなかったことができるようになってきました。これから詳しく書いていきたいと思っていますが、汚部屋暮らしの長い人が、多すぎる物を手放すことにはいろいろないいことがあります。それを実感していました。

 

私の片付けはまだ終わっていません。しかし、もう目処はたちました。

私はのんびりした性格なので、あとはやっていくだけです。

 

ここ最近の片付けには、他のいろいろなブロガーさんの書かれていることが役に立っています。モチベーションの維持や、実際的なテクニックについてです。

私も他の多くの「片付けたい人」のお役に立ちたいと思い、このブログを開設することにしました。

専門的なことや、あまり深いことは書けません。なぜなら私も、霧の中をかき分けて進む一人だからです。ですが、同じ悩みを抱える人の助けにはなれるかもしれない、と思っています。特に有名でもない方のちょっとしたブログ記事が、とても役に立ったりした経験が私にもあるからです。

汚部屋を脱出したいと思う同志の皆さんが、一人でも多く、脱出した先の人生に辿り着けますように。