私の家が片付かないのも全部社会が悪い

断捨離がんばろうブログです。社会批判は特にありません。

片付ければ、掃除機がかけられる

こんにちは。まつのき食いです。

今日は、カテゴリーを充実させる意味も込めて、片付けの「効用」とでも言うべきことについて書いていきたいと思います。

Googleで「断捨離」と検索しようとすると、「断捨離 効果」とか「運気が上がる」とか出てきます。人々が断捨離に何かそれ以上の効果を求めているのがわかります。

Googleの検索画面

余談ですが、このサジェスト欄は最近極端な言葉が並んでいるのが目について、あまり好きではありません。ここにも怪しいサジェストがあります。断捨離しても死ぬことはないと思います。生への執着を断つ人もいるのかもしれませんが、ふつうは生きるために断捨離をするのだと思います。

今日は「掃除機がかけられるようになる」という視点から、効果について書きたいと思います。

スペースが空けば掃除機はかけられる

物が減り、片付けが進むと、部屋の中にスペースができます。そうすると、掃除機をかけてもいいかな、と思ったときに、かけることができます。

掃除機をかける床がない、というのは私がかつてよく使っていた言い訳です。「まず片付けてから」ということです。

ストレスが減ると掃除機はかけられる

もう一つはストレスの側面です。物がごちゃごちゃしている風景は、視覚刺激になり、ストレスになります。「あそこにあれがある」「ここにはこれがある」といちいち認識していたら、脳のチャンネルを無駄に使うことになります。そういう部屋ではいろいろなことにやる気が出なくなり、掃除機もかけられません。

片付けるとそういったストレスが減るので頭が疲れません。その結果、掃除機に限らず、「やろうかな」と思ったけどすぐに「めんどうだからいっか」と諦めることが減ります。

時間があれば掃除機はかけられる

片付いていると、物をなくすことが減ります。その結果、何かを探したり、取り出したり、しまったりするのにかかる時間が減ります。

こういう話を聞いたとき、以前の私は、「そんなにしょっちゅう探し物してないよ」と思ったものです。しかし、片付けが進んでからは、明らかに時間的な余裕は増えています。

この理由について私は、「1日の時間は思っているよりも少ない」というのが大きな要因なのではないかと考えました。たしかに、「あれはどこだ、ここにもない、明日までに見つからないと大変なことになっちゃうよー」というような「探し物」をすることは、あまりありません。

しかし、ペン立てから赤ペンを取り出すときに指がさまよい、他の文房具をかき分けている時間があります。引き出しの中から箸を揃いで出そうとします。チラシの下にテレビのリモコンが隠れてしまい、めくって探します。こういった「ちりつも」は私たちの生活時間を大きく奪っています。

このような小さな探し物が一つ減るたびに、時間的余裕が生まれていきます。掃除機をかける時間がないと言ういいわけもなくなっていくわけです。

掃除機をかけられれば……

掃除機に注目しすぎて、話の流れが曲がった気もします。しかし、汚部屋というのは往々にして掃除されていないものだと思います。私ももちろんそうでした。床には見えないほこりが積もっているのか、裸足で歩くとざらざらした感じがありましたし、抜けた髪の毛もそのまま落ちていて、当然足の裏についたり、床に落ちた衣類にまとわりついたりしていました。

このような不衛生な状態は改善するに越したことはありません。しかし、物が多すぎて掃除できない、ということはありがちだと思います。今回は詳しく触れていませんが、その状態に「慣れてしまう」という悪循環も発生します。

一度掃除機をかけ、きれいになった床を素足で踏めば、これが望ましい状態だと気づくこともできます。そうすれば、なるべくこの状態をキープしたいという気持ちが芽生えます。それまで掃除の習慣がなかった人がいきなり毎日掃除できるようにはなりませんが、少しずつ「やりたい」という積極的な気持ちが行動を後押ししてくれるでしょう。

片付いていない状態は、「できない」という言い訳になってしまいます。片付けをすると、ただ物が片付くわけではなく、そこから掃除ができるようになり、掃除の習慣が生まれ、きれいな部屋に近づいていく、そんな好循環を生み出す、ということを今回はいろいろな角度から書いてみました。

 

ちょっとむりやりなまとめ方になってしまいましたが、今日の内容も、すべて私が実感したことです。断捨離や片付けには確かに効果がある、ということが伝わったら嬉しいです。

時間的余裕についてはそのうちもう少し詳しくまとめたいです。